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2024.05.10

【くじら歴史探訪/鹿児島・熊本編】守り磨き上げていく宝物~縄文時代からの関り今も~(日刊水産経済新聞2024年2月28日掲載)

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 鹿児島の鯨食の特徴としては、クジラの尾を塩蔵しスライス、ボイルした「尾羽」と「セシカラ」(いわゆるコロ)が挙げられる。
 NPO法人霧島食育研究会の千葉しのぶ理事長は「尾羽は正月、大きなものにあやかり、麦味噌の酢味噌で食べる。セシカラは保存食としても利用され、野菜などと煮物にする」と話す。郷土料理教室や学校などで調理実習も行う千葉理事長。子供からは「郷土料理が好き」と感想を得る。「鹿児島の食文化はこれからも守り磨き上げていく大切なもの」と語った。

千葉理事長
井上会長

 2009年に発足した「薩摩川内くじら食文化を守る会」に端を発する「鹿児島くじら食文化を守る会」(井上順夫会長)は、昨年9月9日(鯨の日)に約80人を集め「くじら料理を喰らう会」を開き好評だった。課題は若い人に広めていくこと。県内の学校給食で鯨食の提供はなく「行政との連携も考えたい」と井上会長は述べた。

鹿児島の主な捕鯨は4か所

 かつて鹿児島で捕鯨が行われていたのは主に4か所。現在の南さつま市・片浦と奄美大島・久根津、薩摩川内市・上甑(かみこしき)島の小島(おしま)と下甑島の手打。鹿児島大学の不破茂名誉教授および米原正晃氏は「鹿児島県の捕鯨」(07年、鹿児島大学水産学部紀要)を、不破名誉教授と喰らう会の花田芳浩事務局長は「甑島の捕鯨」(11年、同)を執筆した。

 不破名誉教授

 不破名誉教授は、片浦には「魚見櫓あとの碑」があり、「(定置に入るのは)冬はクジラ」と書かれており、「(漁季表では)彼岸鯨といわれ、春先、北に向かう来遊を狙った」と話す。捕鯨は長崎からの関係者が行ったと説明。市では解剖包丁を保管するが展示はない。
片浦の東約5キロ、大浦には「くじらの眠る丘・座礁くじら記念碑」がある。02年に14頭のマッコウクジラが座礁。このうち1頭の骨格が、座礁10年を記念し展示されている。

魚見櫓あとの碑
マッコウクジラの骨格

 花田事務局長は(株)アトスフーズ(薩摩川内市)で鯨肉を取り扱う。かつて鯨肉は下関や北九州の炭坑町、長崎などから先に消費され、鹿児島に回ってくるのは、主に塩鯨やセシカラだった。「鯨肉はハレの日に食べる。今も尾羽は年末に県内で15トンほどが消費されている」とみる。「セシカラは年末年始の煮締めのほか、山の手で消費され、春にはタケノコと煮る」と話す。「鯨肉は大事に食べてくれる人に食べてもらえればいい」と話す。

野菜とセシカラの煮物

 同市で鯨料理を提供する「酒庵 朋」の安藤朋光代表。専門店ではないがアンテナショップの役割を担う。「市の名物料理を食べたい」といった声を受けて鹿児島湾の深海魚や、鯨竜田揚げ、刺身、鍋などを提供する。安藤代表は大学や高校で調理実習を実施。花田事務局長とともに一般向けの料理講師なども務め、「次世代に日本の食文化を絶やさず伝えたい」と語った。

花田事務局長 
安藤代表

熊本の鯨食文化

 「おうちdeくじら」など各種のリーフレットを発行し鯨食文化を守る、くまもと食農応援団。下鶴容子氏は事務局を担い、熊本くじら食文化を守る会会長も務める。同会では1999年から20回にわたり「鯨料理を楽しむ会」を開き積極的に活動する。

 下鶴会長は、同県の鯨食文化は熊本市、県南と県北、阿蘇、天草の5地域に分かれると話す。

下鶴会長

 熊本市は「一文字(ひともじ、ワケギ)のぐるぐる」と一緒に食べる、さらしクジラが春先の食べ物。桜肉と同様、赤肉刺身も好まれる。

一文字のぐるぐるとさらしクジラ

 県南の球磨・人吉は塩皮鯨と塩赤身鯨。皮鯨と野菜を炊いた煮締め、野菜と塩皮鯨の汁物、塩漬けの赤身鯨は県北の炭鉱地帯と同様に弁当や酒の肴(さかな)にする、阿蘇では高菜の古漬けと油揚げを皮鯨と炒めて高菜飯で食べるなどと語った。
 「鯨・和処ゆう」(熊本市)の後藤毅料理長は、「おいしい鯨肉を食べてもらわないと、鯨肉の食文化は進展しない。焦らずに鯨食文化を残していく」と話す。県外の来店客には馬肉などとともに、鯨肉は少しだけ、若い世代にはカツやステーキを提供して、「おいしかった」と喜ばれる。

後藤料理長

 19年創業の(株)マルホ(本田司会長、純也社長)。2010年にはクジラ業界初のHACCP認証を取得。人気商品「さらしクジラ」は全国有数のシェアをもつ。実績に甘えず、従来の酢味噌ほか、新たにピリ辛ダレなどでの食べ方も提案する。
 4年前には燻(くん)製機を導入。サクラのチップで本格的に温燻した新商品「くじらタンスモークベーコン」も本格的に販売していく。昨年はガス置換(MAP)包装機を導入し消費期限を延ばした。
 22年には本田社長が事務局を担い、「やまと鯨を食べる食文化を守る会」を発足させ、昨年第1回総会を開催。140人ほどを集め、講演会や食事会を通じて鯨食への理解を深め鯨食文化発信を確認している。「クジラとの歴史は縄文時代からで、ここで絶やしてはいけない」と本田会長は語った。

本田会長(左)と本田社長

【豆知識】

 九州の縄文時代の土器の中には一部、底面にクジラの脊椎骨の圧痕「鯨底」が見られる。かつて大学の卒論で調査した熊本市文化市民局文化創造部文化財課の金田一精主査。1961年には10遺跡、98年には68遺跡で確認され、まとまった報告はないが「現在は100遺跡を超えていると思う」と話す。こうしたことを踏まえ、縄文時代中期から後期にかけて「一時は積極的に捕鯨が行われたのではないか」と持論を述べた。

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