「くじらの町」と呼ばれる太地町で歴史と文化を感じることができるクジラスポットをご紹介! | 耳ヨリくじら情報 | くじらタウン

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2024.02.28

「くじらの町」と呼ばれる太地町で歴史と文化を感じることができるクジラスポットをご紹介!

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和歌山県の紀伊半島の東側に位置する太地町(たいじちょう)は、黒潮が打ち寄せる熊野灘に面した小さな港町です。近くには世界遺産の熊野古道や那智の大瀧があり、自然と歴史と文化が共存する場所です。
太地町は古式捕鯨発祥の地として400年以上もの間、日本の捕鯨文化を継承し続けています。
慶長11年(1606年)に当時の豪族の和田家の忠兵衛頼元が尾張師崎(知多半島の突端)の漁師・伝次と泉州堺の浪人伊右衛門とともに太地浦を基地として、突捕り法による捕鯨を始めました。延宝3年(1675年)には網取り突き取り法を考案したことによって太地の捕鯨は飛躍的に発展したと言われています。
今でも「くじらの町」として歴史や伝統を伝え続け、水産庁の規制の下で沿岸での小型捕鯨も続けられています。

そんなクジラと共に生きる町“太地”のクジラとの歴史と文化を感じることのできるスポットをご紹介します!

燈明崎

日本で最初に鯨油を使った灯台があった「燈明崎」

燈明崎(とうみょうざき)は古式捕鯨発祥の地として最も重要な場所と言われています。日本で初めて鯨油を用いた行灯式燈明台(燈明灯台)が設置されていました。広い海で鯨を追い、網を張り、突き捕るには全体を見渡せる位置から適確な指示を出すことが不可欠であったため、それらの指揮や伝達を行う重要な山見台(※1)があった場所です。

燈明崎 狼煙場跡

今でも狼煙場跡(のろしばあと)や復元された山見台・燈明灯台があります。
和歌山県朝日夕日百選にも選ばれ、捕鯨の歴史を感じながら見る水平線は絶景です。
※1 山見台…太地古式捕鯨での総指揮所のこと。別名「めがね」とも呼ばれる。

住所:和歌山県東牟婁郡太地町太地

梶取崎 狼煙場跡

燈明崎とともに古式捕鯨を総指揮した山見跡「梶取崎」

燈明台から車で5分ほどいった場所にある梶取崎(かんどりざき)も古式捕鯨の船団を総指揮した山見台のひとつです。熊野灘を航行する船がこの岬を目標にして舵(かじ)をとっていたとことからこの地名が付けられたと言われています。
岬の端まで細い道を抜けると狼煙場跡があり、狼煙をあげて合図を出していたことがわかります。

狼煙場跡から周りを見渡すと燈明崎や紀伊大島の樫野崎(かしのざき)や近くにある真っ白な梶取崎灯台を見ることができ、壮観な景色が楽しめる場所となっています。

住所:和歌山県東牟婁郡太地町太地

くじら供養碑

クジラへの感謝と供養を祈る「くじら供養碑」

梶取崎には広大な芝生が広がる「梶取崎園地」があり、その中に真っ白な灯台の「梶取崎灯台」や「くじら供養碑」があります。
クジラと深く関わってきた太地では、“鯨魂の永く鎮まりますよう”という願いを込めて「くじら供養碑」が建てられました。
この供養碑は仕事や生活のためとはいえ、鯨を仕留めて、殺傷してしまうことへの捕鯨に関わる人には避けて通れない悲しみと感謝の気持ちが込められています。毎年4月29日にはこの場所で「くじら供養祭」が行われ、太地の人にとってクジラがどれだけ大切なものかを感じることができる場所となっています。

住所:和歌山県東牟婁郡太地町太地

恵比寿神社

鯨骨の鳥居がある「恵比寿神社」

漁港に面した場所にあるのが、恵比寿様を祀る「恵比寿神社」です。なかでも目を引くのが本物の鯨骨で作られた鳥居です。
恵比寿様は古くから漁業の神様として信仰され、「恵比寿神社」は豊漁と安全を祈る神社とされています。

江戸時代の小説「日本永代蔵」に『“泰地という里”の“鯨恵比須の宮”に高さ三丈(約9メートル)もあるクジラの胴骨でできた鳥居がある』と書かれていたことから発想を得て、1985年に太地魚商組合によって最初のクジラの顎骨でできた鳥居が建てられました。2019年に三代目となりイワシクジラの顎骨で作られたものが現在立っているものです。

境内にはクジラとも恵比寿様にも見える形の石がご神体として祀られています。

住所:和歌山県東牟婁郡太地町太地

お弓神事が行われる太地の氏神「飛鳥神社」

飛鳥神社

飛鳥神社では「お弓神事」と呼ばれる大漁や海での安全を祈願するお祭りが毎年1月に行われます。

セミ

宮司が社に向かって1本の矢を放つのを合図に、集まった人達が的を壊し、的につけられたセミクジラに似せて作られた「セミ」と呼ばれる木彫りの縁起物や的の破片などを持ち帰るお祭りです。

住所: 和歌山県東牟婁郡太地町

実際に使われていた捕鯨船を間近で見ることができる「くじら浜公園」

海に面する「太地くじら浜公園」には1971年より北洋・南氷洋捕鯨で活躍し、2012年に陸揚げされた捕鯨船「第一京丸」が展示されています。全長69.15メートル/総重量1,150tの船を間近で見ることができます。この船は捕鯨船資料館として船内、外観、エンジン、厨房の食器まで操業時のまま残してあります(内部の一般公開はされていません)。

近くにはクジラを引き上げる為に使われるクローという道具も展示され、クジラを捕る為にはこんなに大きい船や道具が必要なのかと改めて実感することができます。
近代捕鯨船の傍らには古式捕鯨時代の羽刺(※2)の銅像があり、捕鯨の歴史と進化を垣間見ることができます。

同じ公園内にはクジラのモニュメントやクジラの形をした遊覧船や「太地町立くじらの博物館」もあります。ここに来ればクジラの生態から人との歴史までわかる場所となり、ゆっくりのんびり太地を満喫できるスポットとなっています。
※2 羽刺(はざし)…古式捕鯨で鯨に対して銛を投げる役割の人のこと

住所:和歌山県東牟婁郡太地町太地2934-2


クジラと共に生きてきた町‘太地’で歴史と文化と自然豊かな景色に触れることができるクジラ散策をしてみてはいかがでしょうか。

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