【新クジラ探訪記・函館編】北海道(日刊水産経済新聞2022年12月27日掲載) | 耳ヨリくじら情報 | くじらタウン

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2023.01.27

【新クジラ探訪記・函館編】北海道(日刊水産経済新聞2022年12月27日掲載)

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函館の年末・正月は「鯨汁」
家庭ごとそれぞれの味伝承

《鯨汁と赤飯のセット》

 北海道南部、函館。同地域では特に年末から正月にかけて、今も多くの人から「鯨汁」が愛されている。中には「鯨汁を食べないと正月を迎える気がしない」という人もいるほど。 
 12月を迎えて市内のスーパー、鮮魚店などには鯨汁用に塩クジラが数多く並んでいる。家庭によって味付けや具材はさまざま。塩、味噌、醤油の調味ほか、一緒に入れる具材の野菜もダイコン、ニンジンのほか山菜など多種多様。煮物として食べる家庭もあり家庭ごとに鯨汁がある。

《「茶房 菊泉」外観》

周年、鯨汁が食べられる函館で唯一の店が函館山麓の「茶房 菊泉」。

《菊泉の赤塚店主》

 赤塚泉店主が鯨汁を提供し始めたのは14年ほど前から。「地元の食」として鯨汁に行きついた。若い人から年配の人まで幅広い年齢層から注文を受けている。 実は函館出身ではないという赤塚店主。鯨汁は40年ほど前に初めて、当時働いていた会社で塩味の鯨汁を食べた。同店も当初は塩味で提供していたが、現在は醤油、味噌から選べる。

《管理栄養士の村木さん》

 同店を訪れた、函館出身で管理栄養士の村木牧子さん。村木さんも数年前まで年末は自宅で「鯨汁」を楽しんだが、「塩クジラは塊が大きすぎて、自宅では作れない」といい、久しぶりの味。
 各家庭でそれぞれの味がある鯨汁。「うちの鯨汁とは違う」という感想をもらうことがあるという赤塚店主。「地元の味としていいのか戸惑うこともある」という。「北海道の味、函館の味」を残していくことに関心の高い村木さんは、「軟らかく味の染みたダイコンも、ダシもおいしい。こういう形でも残してもらえたらいいなと思う」と話した。

 次世代に残したい函館の味「鯨汁」。
「いつでも、どこでも、函館で鯨汁が食べられるように広がっていけばいいなと思う」と赤塚店主は話した。

くじら普及部会

《鯨族供養塔》

 夏の函館のクジラといえばツチクジラ。松前沖では以前、5月から6月にかけてツチクジラ10頭を捕獲。鯨肉は市内でも流通した。鯨肉のPRなどを行っていたのが、函館水産連合協議会のくじら普及部会。最近は松前沖のツチクジラ捕獲が中断されていて流通は少ない。同部会では年に一度、1957年に弥生町に建立された鯨族供養塔の清掃活動なども行っている。

 部会長を務めるトナミ食品工業(株)の利波部英樹社長は、「鯨食普及は若者向けへの取り組みが課題。価格も安くはない。希少価値的存在」と話す。
 細々とではあるが、函館市の学校給食では年に1回、伝統食として鯨汁、年に数回竜田揚げを提供。同社本部所在地の北斗市も学校給食で竜田揚げを提供する。クジラを食べたことがない人が増えている中で、「庶民的なものなら鯨肉の消費を拡大していけるかもしれない。ラーメンやチャーハンなどはやりのB級グルメで外食であれば拡販はできると思う」と利波社長は話す。

《山田店長》

 トナミ食品工業といえば、イカやタコ、カニなどの各種加工品や珍味などで著名だが、函館朝市には「函館くじら屋」を出店。常時、自社加工の鯨ベーコン、塩クジラなど鯨肉のほか、各種水産加工品も販売する。

《函館くじら屋の各種鯨肉》

 「いちばんの売れ筋はミンクのベーコンブロック。年末はやはり鯨汁用に塩クジラが売れる。昨年末には一部の鯨種で売り切れた。道内はもちろんのこと、道外からも注文が入る」と山田由美店長。網走産ミンクやイワシ鹿の子も好評と話した。

大学調査でも
鯨肉継承望む声

《松石教授㊧と名倉さん》

 「鯨肉は生肉が手に入れられるようになったのが大きい。かつては安かったけれどまずかった。しかし、まずくても鯨肉を食べなければ動物性タンパク質が不足した戦後の一時期からは変わった」と流通の変化を話すのは、くじら普及部会で副部会長を務める北海道大学水産科学研究院の松石隆教授。

 函館大学が行った調査では、89%の人が「函館のクジラ料理を守っていくべきだ」と回答している。
「食文化をなくさないことが大切。流通・消費の仕組みを整え、科学的な根拠に基づき持続的に利用していけばよいと思う」と話す。

 松石教授は1999年発足の北海道大学鯨類研究会の顧問も務める。現在は学生23人が活動。毎週末、津軽海峡フェリーの協力のもとで鯨類目視調査などをしている。10月に開かれた学祭「北水祭」では、トナミ食品工業の協力でクジラ缶詰を廉価で販売し喜ばれた。代表の名倉のどかさん(4年生)は、広島出身で鯨汁は食べたことはないが、「生肉は苦手だが、ベーコンは好き」という。自身はネズミイルカの進化を調べている。「日本周辺の鯨類がどのように広がってきたかを調べたい」と話した。

 昭和初期には道内一の人口を誇り、豊富な水産物を取引して賑わう函館。捕鯨船に食料や水などを補給するため1859年に開港するなど捕鯨との関わりも深い。 江戸では例年12月13日のすす払い(大掃除)のあとに滋養強壮、長寿・健康などを願い「鯨汁」を食べた。一方、大阪など西日本では正月に「大きな鯨を食して不吉を除く」と鯨を食べた。

 全国から大勢の人が集まった函館では年末から正月にかけてニシン漁の大漁を願い、鯨汁を食べてきた。縄文時代の貝塚から鯨類の骨が出土、昔も今も函館とクジラとの関係は深い。

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