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大学では法律学を専攻していたものの、ひょんなきっかけで、学生時代から日本が実施する鯨類目視調査や鯨類捕獲調査に調査員として参加していたという村瀬弘人さん。現在は、『東京海洋大学』学術研究院・海洋環境科学部門准教授として、ザトウクジラやクロミンククジラなどの大型鯨類を主対象に研究する傍ら、「鯨類学研究室」に所属する学生を指導して、後進の育成にも尽力しています。もともとは法律を学んでいた村瀬さんがなぜ、鯨類研究に携わるようになったのか、鯨類を研究することの魅力はどこにあるのかなどをご本人に伺っていきます。
法学部の学生として捕鯨問題に興味を持ったことがきっかけでクジラとのご縁ができた

――法学部の学生だった村瀬さんが、調査員として捕鯨船に乗ることになったきっかけを教えてください。
村瀬「大学の夏休みに全国を旅行中に立ち寄った太地でたまたま共同船舶の乗組員に出逢う機会があり、調査捕鯨について質問させてもらったことがありました。当時は法学部在学中だったこともあって、国際論争が起きやすいという側面から、捕鯨に興味を持っていたのです。するとその乗組員が、“そんなに捕鯨に興味があるなら、『日本鯨類研究所』が学生を調査員として捕鯨船に乗せているから直談判してみたら?”と助言してくれました。そこで、すぐに連絡をとったところ、“文系の学生を採用するのは難しい”と一度は断られたのですが、たまたま乗船を予定していた学生が乗れなくなったことから、後日、先方からお声がけいただき、そこから1年間休学して北太平洋と南極での調査に参加させてもらうことになりました」
調査捕鯨は想像以上に過酷な仕事。初体験で大きなカルチャーショックを受けた

――そこから鯨類調査の道を歩み始めたのでしょうか?
村瀬「いえ。南極では多くのクジラを見ることができ、これまでにないすばらしい体験でしたけど、調査自体は大変で“こんなに辛い仕事があるんだ!”と驚いたことを覚えています。キャッチャーボート(※)に調査員として乗っているのは自分だけで、今みたいに船上でもインターネットで陸とつながっているわけではないから、わからないことがあっても自分で解決するしかないことが多々ありました。船酔いもするし、乗組員は全国から集まった自分の親と同じような年齢で東京の文系学生としては大きなカルチャーショックもありました。当時は理系の知識も乏しく、研究者になりたいという考えが頭をよぎるわけもなく、南極調査が終わると復学して、将来について考え始めました。しかし、南極から戻ってしばらくすると、都会での生活に物足りなさを感じるようになりました。“野生動物に関連した仕事”とぼんやり考えるようになり、“文系出身で目指せるのはどんな仕事だろう?”と自然ドキュメンタリー番組を見るなどして思考を巡らせていました。」
※キャッチャーボート・・・捕鯨をするための特殊な構造と機能を持つ船のこと
南極から帰国後、野生動物についてもっと知りたいと思うようになりアメリカ留学を決意
――その間は、クジラ関連の業務は手伝っていなかったのですか?
村瀬「陸上に戻ってきたあとも、『日本鯨類研究所』からお声がけいただき、東京で開催された国際捕鯨委員会科学委員会の小会合の手伝いなどしていました。その会合の時に加藤先生(※東京海洋大学名誉教授・加藤秀弘さん)から“外国人研究者と英語で話してみては”と言われたのですが、当時は十分な知識もなく会話はまったく成り立ちませんでした。このようなことがきっかけとなり、“野生動物に関する仕事に就くのであれば英語で専門の勉強をしたほうがいいな”と留学を決意して、そこから約2年間、オレゴン州立大学農学部の水産・野生動物学科で学びました。卒業を控えたころにはいわゆる就職活動もしていましたが、再び『日本鯨類研究所』からご連絡いただき、これもご縁だと思って研究者としての道を歩み始めました。26歳くらいのことです」
初めての就職先は『日本鯨類研究所』。クジラとエサとの関係性や海洋研究、クジラの分布について研究することに
――『日本鯨類研究所』入所後はどんな研究に着手されたのですか?
村瀬「学生時代に調査員として調査船に乗せていただいたときと同じく、いわゆる目視調査がメインです。目視調査の目的はクジラの資源量推定ですが、私が入所してすぐに始まった第二期北西太平洋鯨類捕獲調査(JARPNII)の目的の1つは海洋生態系の研究でした。この研究に必要なデータを集めるため、目視調査と同時にクジラのエサとなる魚やプランクトンの調査を行うことになり、私がこれを担当することになりました。当時、ノルウェーではクジラとそのエサについての調査と研究が先行して行われていましたが、日本では初めての試みだったので日本鯨類研究所だけではなく水産庁遠洋水産研究所(現、国立研究開発法人水産研究・教育機構水産資源研究所)の研究者などと協力し手探りの中、進めていきました。このような縁もあり、2011年に日本鯨類研究所から当時の独立行政法人水産総合研究センター国際水産研究所に移りました。2018年には南極でも水産庁開洋丸で実施したクジラのエサとなるナンキョクオキアミを主対象とした生態系調査に主席調査員として参加しました。最初に携わった調査と研究から一貫してクジラとそのエサの関係性や海洋環境、クジラの分布についての研究を続けています」
「クジラを含めた海全体」を対象に研究することが自分に合っていた

――未知の領域での研究とはやりがいがありますね。
村瀬「留学中の野生動物の研究を通して生態学のおもしろさに目覚めたのですが、自分の足と目で確かめにいける陸上の動物と比べて、海の動物の研究はハードルが高いことを思い知らされました。外洋での調査のためには大型船が必要ですし、広大な海で人間が潜って確認できる範囲は極めて限られており、目に見えない世界を相手にさてどうやって研究を進めたものか?と頭を悩ませました。しかし、クジラに加えて、網、バイオロギングや計量魚群探知機などの道具も活用した調査と研究は自分の興味にすごくはまっていたので、やりがいを持ち続けられています。いろいろな分野の研究者や乗組員と相談しながら、海の謎に挑むことにもやりがいを感じます。海の調査と研究は多くの人との協力がないと成果が得られません。自分の場合、クジラそのものにも興味はあるけど、その動物がなんでこの場所にいるのか、他の動物とどう関わっているのか、環境とどのように関わっているのかについても関心が高くて、要は“クジラを含めた海全体”を対象とした研究が性に合っていました。このような感じで、自分では縁遠いと思っていた研究者が本業となりました」
クジラを研究して発表するうえでは、捕鯨問題などもきちんと理解しておくことが不可欠

――その後、『水産資源研究所』を経て『東京海洋大学』准教授に着任された経緯を教えてください。
村瀬「加藤先生が、ご自身の退官にあたって後任を公募していることを教えてくれたのですが、研究者としての活動を続けてきたなかで、後進の育成が大切だと考えるようになっていたので、ちょうどいい機会だと思い応募しました。自分は、大学時代に調査船に乗ったときは知らないことだらけでしたが、学生たちには、大学で知識をぐんぐんと吸収するのと同時に、野外調査の経験を多くしてもらいたいです。科学なので事実に基づく客観性が不可欠ですが、クジラの研究は特殊なところがあると感じます。研究者個人やそれぞれの国によってクジラに対する考えは異なるので、例えば目的が保護の研究と持続的利用の研究では方向性や内容が大きく違います。私は長年にわたり、国際捕鯨委員会(IWC)や南極の海洋生物資源の保存に関する委員会(CCAMLR)の科学委員会に参加させていただいていて、自分が取り組んできた調査や研究成果を報告し、様々な国の研究者と多くの意見を交わしてきました。特にこのような国際的な場ではこのような違いを理解しお互いを尊重しながら調査と研究を進めていく必要があります。そういうことを含めて、学生たちにきちんと伝えていきたいです」
生きた個体から採取したサンプルを使う研究もあれば、死亡した個体から採取したサンプルを使う研究もある

――海洋大の学生たちは、学生時代の村瀬さんと同じように、調査船に同乗する機会があるのですか?
村瀬「私が『日本鯨類研究所』や『水産資源研究所』に勤めていた縁もあって、それぞれの機関の調査補助員というかたちで、学生が目視調査や生物調査に参加させていただくことがあります。これまで憧れであったものが、仕事としてクジラの調査に関わることになり学生にとっては貴重な経験となっています。調査を経験した学生の中には卒業後に日本鯨類研究所、水産資源研究所、都道府県水産試験場の研究者になっている人もいます。特に日本鯨類研究所と水産資源研究所には、研究面でも大変、お世話になっていて、ほとんどの学生はどちらかの研究所からお借りしたデータを使用して研究を行っています。私が以前、務めていた職場ということもあり、どのような調査と研究が行われているかを把握できていることも相乗効果となっていると思います。“データ”とひとことで言っても、生きているクジラから表皮や皮脂を採集するバイオプシーや目視調査で得られるデータもあれば、死亡個体から採取するサンプルもありますが、『鯨類学研究室』において生きているクジラから得られるデータを用いた研究を主に専門にしているのが私で、死亡個体から得られるデータを用いた研究を主に専門としているのが、中村先生(※『東京海洋大学』准教授・中村玄さん)ということになります」
自然現象の解明や精神的探究も! クジラの研究テーマは驚くほど幅広い

――クジラを研究することの魅力を教えてください。
村瀬「“クジラを含めた海全体”の研究は自然現象が明らかにする物理的探究であるのに対し、捕鯨問題に対していろんな意見があるのはなぜなのかと考えることは、人間の価値観に目を向けることでもあるので、精神的探究にもつながっていきます。クジラの研究は両方の側面を持つのが大きな魅力なのかもしれません。たとえば、捕鯨の歴史についても知っておかなければ、なぜ現在のような管理になったのか理解できないので、前提として幅広い知識を身に着けることが不可欠です。また、たとえばホッキョククジラの一生について知りたいと思っても、寿命が人間よりもはるかに長い200年以上ある生物ですから、その生態を知るためには限られたデータから読み取るしかありません。しかし、まだ見ぬ新しい技術が開発される可能性もあるので、これから先、研究によってわかることはもっと増えていくはずです。クジラとそれをとりまく海の環境は常に変化していて、この調査と研究はモニタリングを続けその結果を実社会にフィードバックすることが大事なので終わりがありません。研究者として仕事ができるのは数十年で、1人でクジラを研究できる時間はとても短いです。だからこそ、私は自分の次の世代を育てることに大きな意義を感じていますし、これからも、熱意ある学生が『鯨類学研究室』の門を叩き続けてくれたらうれしいです」
▶村瀬 弘人さん
村瀬 弘人(むらせひろと)
1971年東京生まれ。明治学院大学法学部法律学科卒業。同年、オレゴン州立大学農学部水産・野生動物学科に学士入学し1998年に卒業。2010年に論文を提出し北海道大学大学院環境科学院生物圏科学専攻より博士(環境科学)学位を取得。学生時代から日本が実施している鯨類目視調査や鯨類捕獲調査に調査員として参加。
財団法人日本鯨類研究所(現,一般財団法人日本鯨類研究所,1998~2011年),独立行政法人水産総合研究センター国際水産研究所(現,国立研究開発法人水産研究・教育機構水産資源研究所,2011~2019年)を経て,2019年5月に国立大学法人東京海洋大学 学術研究院海洋環境科学部門准教授に着任。
国際捕鯨委員会科学委員会(IWC/SC)や南極の海洋生物資源の保存に関する委員会科学委員会(CCAMLR SC-CAMLR)の委員を務める。
海洋生態学の観点からザトウクジラやクロミンククジラなどの大型鯨類を主対象に研究を行っている。野外調査では鯨類目視調査などの従来からある手法に加え、バイオロギング、計量魚群探知機、リモートセンシングといった様々な手法を用いデータを収集し、これらを組み合わせ鯨類の空間分布変動や海洋生態系構造の解明に取り組んでいる。