親子くじらの山車が街中を練り歩く「呼子くんち」が開催決定! 唐津出身者の熱い想いが10年越しに大きな実を結ぶ! | 耳ヨリくじら情報 | くじらタウン

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2022.07.29

親子くじらの山車が街中を練り歩く「呼子くんち」が開催決定! 唐津出身者の熱い想いが10年越しに大きな実を結ぶ!

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日本各地には、クジラで栄えた歴史を持つ街がいくつかありますが、佐賀県唐津市呼子町もそのひとつだとご存知の人は少ないかもしれません。今や呼子といえばイカ! 驚くほど透き通ったイカを堪能できることで知られる街です。佐賀県唐津市から長崎県五島列島にかけての地方で「西海(さいかい)捕鯨」がおこなわれていた全盛期には、鯨組主が巨万の富を築いたほど。初代から8代までの170年間にわたって唐津藩で捕鯨業を一手に担っていた中尾家の屋敷は、現在は佐賀県重要文化財として全国からの観光客を迎え入れています。

建物名は「鯨組主中尾家屋敷」(写真上)。歴史あるこの場所を起点に、鯨の曳山(山車)をひいて街中を練り歩く“おくんち”が、今秋10月16日(日)、開催予定です。“おくんち”とは、九州北部の秋祭りのことですが、クラウドファンディングでこの開催資金を募ったところ、早々に目標金額を達成。そこで、新たな目標金額である「ネクストゴール」を設定するも、こちらも期間内に見事達成しています。しかし、鯨の曳山を制作する構想が立ち上がったのは、2012(平成24)年とかなり昔。唐津出身の進藤幸彦さんが、唐津市出身者の親睦団体「全国唐津っ子連合」を設立して仲間たちと曳山制作を目指すも、夢半ばで病に倒れられました。その後、幸彦さんの遺志を継ぎ、曳山制作を実現させたのは、ご子息のさわとさんをはじめとする有志一同。その中心人物である、「呼子くんち」実行委員会の八幡崇経さんにお話を伺いました。

発起人の想いが、時を経て和紙作家へとつながっていった

――曳山の構想から完成までにはかなりの月日を要されていますが、実現までにはどんな課題がありましたか?

「幸彦さんのもともとの構想は、呼子と同じ唐津市内にある唐津神社の曳山行事『唐津くんち』を核に、曳山の保護と振興のために、企画で終わっていた“幻の曳山”を制作して奉納するというものでした。“幻の曳山”とは、江戸時代の曳山絵図にも描かれている『黒獅子』、物価高騰のために制作目前にとん挫した『三ツ尾の金魚(らんちゅう)』、そして残るひとつが『鯨の曳山』です。この鯨の曳山はもともと唐津焼第12代中里太郎右衛門さんが提唱されたもので、幸彦さんに鯨の曳山制作を提案したのは、第14代中里太郎右衛門さんでした。

唐津くんちの曳山は漆で制作されているため、鯨の曳山も同様に漆で制作しようと、模型を漆職人に依頼して作りはじめましたが、結果的に唐津くんちのために奉納するのは難しいとなり、呼子で曳山を引き受けることになりました。そこでまず問題となったのが、曳山の保管方法と維持費です。漆でこのサイズとなるとどうしても保管の難易度が高い。漆の質感に近く、代替となるものはなんだろう? と長らく試行錯誤するなか、さわとさんが偶然知り合いに紹介してもらったのが、京都を拠点に活動されている和紙作家・堀木エリ子さんでした。

出逢ったその日には、呼子くんちのことは軽く話題に出した程度でしたが、その後、漆の代替素材として、堀木さんが生み出したオリジナルの和紙がぴったりなのでは? と閃いたのです。なぜかというと、“建築空間に生きる和紙造形の創造”をテーマとした堀木さんのオリジナル和紙は、汚れる・破れる・燃える・変色するといった和紙の難点を克服した革新的なもの。また、堀木さんは堀木さんで、自らの技術によって幻の曳山を完成させられるのではないか? と考え始めていたことから、どちらからともなく連絡をして再会することとなったのです。

加えて、堀木さんの両親が三重県出身で、お母様は疎開先であった四日市での富田地区の『鯨船まつり』に登場する曳山を毎年楽しみにしていたということもあり、ご縁を感じられたようです」

親子鯨の伝説をモチーフにすることで、自然への畏敬の念を表現

――なんともドラマティックなお話です!

「その後、令和3年1月にさわとさんとお母様、そしてわたしの3人で堀木さんの元へお伺いしたところ、既に呼子の歴史についてかなり詳しく調べていらっしゃって、“呼子の歴史を物語る親子鯨をモチーフにしてはどうだろう?”とご提案いただきました。捕鯨に携わる者にとっては、親子の鯨をむやみに捕ってはいけないという暗黙のルールがあるのですが、呼子にも、弁天島にお詣りに向かっている親子鯨を漁師が捕獲したことで不幸に見舞われたという伝説があるんです。

堀木さんは、この伝説をもとに、昔の人々が抱いていた自然への畏敬の念を表現してはと、曳山の内部に照明を埋め込むアイディアを出されました。そこには、曳山をひいて昼間のうちに町内を練り歩いた後、陽が落ちてからは明かりを灯して湾内に浮かべることで、鯨の魂だけでなく、自然災害や戦争被害に遭った人たちの魂まで鎮めようという意図がありました。湾内のコースは、伝説の舞台となった弁天島のまわりです。ここまでしっかり調べたうえでの提案くださったことに、わたしたちはとても驚かされました」

和紙で山車を製作することで精神性も高められた

――鯨や人々の霊を慰め、祈願する。お祭りの原点ですね。

「日本人が昔から贈り物を白い半紙で包んできたように、和紙は聖なるものの極みといえますが、堀木さんのおかげで、そうした精神性も宿した曳山が完成しました。しかも、骨組や糊を使わず立体的に漉くという特殊な技術で作られているので、骨組による歪な突起もなく、糊部分の変色がないのも特徴です」

「呼子くんち」が町の活性化のきっかけになってほしい

――方向性が決まってからは、製作はスムーズに進みましたか?

「堀木さんは、町の大きさや、『唐津くんち』の山車も自分の目で確認したいと何度も唐津に足を運んでくださり、着実に製作を進めていかれました。また、神奈川県在住のさわとさんもたびたび唐津にいらっしゃり、幸彦さんが生前、呼子くんちに対して描いていた理想を形にする役目を担われています。『呼子くんち』は、かつては機会あるごとにおこなわれていたのですが、現在の呼子は若者の流出により過疎地となっているため、いま開催しても誰が山車を曳くんだろう? どうやって山車を保管していけばいいんだろう? というさまざまな課題があったのですが、子どもから大人まで一致団結して地域の力を出していく方法をみんなで考えるきっかけになりましたし、保管の問題に関しては、鯨組主中尾家屋敷に展示させていただいて、多くの方に見ていただけるようにしています。」

町制50周年記念行事の様子

クラウドファンディングで応援してくれた、日本各地に暮らす呼子出身者たちにも感謝している

――曳山は誰がひくことになったのですか?

「子クジラの曳山は保育園や幼稚園生が午前中にひき、親クジラの曳山は小学生からおとなまでがひくことになっています。おくんちの開催時間は長いので、合間に伝統芸能などを挟みながらひいていただこうと考えています。準備期間は長かったですが、4月に実行委員会を立ち上げて、5月28日に奉納された和紙曳山の現物を見たら予想以上にすばらしいものだったので、みんなの士気も高まっています。
クラウドファンディングで結構な金額を目標に掲げた時点では、地元からは“こんなに集まるわけないでしょ”の声が上がっていましたが、進藤さん、堀木さんが、伝統をふまえた新しい祭りを開催することの意義を多くの人に考えてほしいと熱心に宣伝してくださったこともあり、ネクストゴールまで達成することができました。みなさんの応援に応えるためにも、地域一丸となって呼子くんちを盛り上げていきたいと考えていますし、わたし自身、曳山が町を練り歩く姿を見られるのが今から楽しみでなりません」

――ありがとうございました。

呼子くんちの開催は2022年10月16日(日)を予定。唐津出身者もそうでない人も、この機会に唐津を訪れて、歴史的な瞬間に立ち会ってみてはいかが? 曳山とともに唐津の町を練り歩き、陽が落ちてからはみんなで一緒に鯨や先祖たちの霊を悼むことで、参加者一人ひとりの胸にもきっと特別な想いが去来するはず。

▶呼子くんち概要
会場:佐賀県唐津市呼子 中尾家屋敷〜朝市通り〜
台場日程:2022年10月16日(日) 9:00〜19:00予定(日中は子どもらによる曳山を実施)

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